HISTORY

歴史小話

歴史の舞台は、
大徳寺だった。

信長、秀吉、利休、一休 ——。
日本史を彩る人物たちと深く関わってきた大徳寺。
展示作品から見えてくる知られざる歴史の舞台裏をご紹介します。

三門写真提供 山平舎株式会社 小林正和

三門写真提供 山平舎株式会社 小林正和

其の一

信長の葬儀は、秀吉の巨大プレゼンだった!?

信長の葬儀は、
秀吉の巨大プレゼンだった!?

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其の二

一休さん、寺宝を首にかけて戦火から逃げた!?

一休さん、寺宝を首にかけて
戦火から逃げた!?

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其の三

この名画が飾られた!?

秀吉の巨大茶フェスに、
この名画が飾られた!?

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其の四

小田原攻めで、
秀吉は名画まで持ち帰った!?

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其の五

等伯も、宗達も。大観も。
日本中の絵師が真似した猿
が、大徳寺に!?

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其の六

関ヶ原ですべてを失った猛将が、
大徳寺から大復活!?

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其の一

信長の葬儀は、
秀吉の巨大プレゼンだった!?

信長の葬儀は、秀吉の巨大プレゼンだった!?

本能寺の変から数か月後、秀吉は大徳寺で信長の葬儀を盛大に執り行いました。本展では、葬儀と三回忌のためにそれぞれ制作されたとみられる、二つの《織田信長像》を紹介します。三回忌の像には着衣を描き直した痕跡があり、秀吉が信長をあえて控えめな姿に変えさせた可能性も。葬儀は信長を弔うと同時に、「次の天下人は自分だ」と世に示す舞台だったのかもしれません。

「織田信長像」

「織田信長像」

狩野永徳筆 安土桃山時代・16世紀
総見院蔵【前期展示】
信長の葬儀に掲げられた可能性がある肖像。

「織田信長像」

「織田信長像」

狩野永徳筆 安土桃山時代・天正12年(1584)
大徳寺蔵 【後期展示】
秀吉主催の三回忌のために制作され、秀吉の命で着衣の色が描き直された可能性がある。

其の二

一休さん、
寺宝を首にかけて
戦火から逃げた!?

信長の葬儀は、秀吉の巨大プレゼンだった!?

京都の町を焼き尽くした応仁の乱。その戦火のなか、一休宗純は大切な寺宝「看読真詮榜」を袋にいれ、首にかけて避難したと伝わります。
今に残る一巻は、一休が命がけで守り抜いたものかもしれません。本展では、一休が実際に首にかけたといわれる袋と一緒にご紹介します。

「一休宗純像」

「一休宗純像」

自賛、宗辨禅人請 室町時代・15世紀
京都・酬恩庵蔵【前期展示】

「看読真詮󠄀榜」(部分)

「看読真詮󠄀榜」(部分)

宗峰妙超筆 南北朝時代・14世紀 
京都・真珠庵蔵 【半期で巻替え】
一休が首にかけて運んだと伝わる裂袋も付属する。

其の三

秀吉の巨大茶フェスに、
この名画が飾られた!?

この名画が飾られた!?

天正15年、秀吉は京都・北野で大規模な茶会「北野大茶湯」を開催しました。身分を超えて人々が集まったこの一大イベントに、華やかな牡丹の名画が飾られたと伝わります。

「織田信長像」
「織田信長像」

重要文化財「牡丹図」

元時代・14世紀 京都・高桐院蔵【後期展示】
北野大茶湯に掛けられたという伝承をもつ、中国・元時代の名画。

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